教育のためのコミュニケーション

初めての「教育のための市民活動 公開ミーティング」オープン学習会&ディスカッション
2023.08.01 茨城県水戸生涯学習センター Report by 山崎一希




 地域住民の立場から公教育や学校の支援に携わる市民団体が、茨城県内でもじわりと増えていきます。なかには現役の教員など教育機関の関係者が立ち上げや運営に関わっている団体もあります。
 8月1日(火)、そうした市民団体同士や教育関係者との交流を図る「教育のための市民活動 公開ミーティング」という初めてのイベントを茨城県水戸生涯学習センターで開催しました。NPO法人セカンドリーグ茨城と同センターに共催をいただき、平日のイベントながら対面・オンラインをあわせて50名もの方にご参加いただきました。ありがとうございました。

教育評価とは―社会に蔓延る「相対評価」的価値

 前半(10時~12時)は、最新の学校教育の動きや知識について学び、考えを深める「オープン学習会」。教育方法学、授業研究、カリキュラム論が専門の慶應義塾大学教職課程センター・藤本和久教授に講演をいただきました。
 藤本先生が長年授業研究者として関わっている茅ケ崎市立香川小学校では、現場での丁寧な議論を経て、通知表をやめるという試みを3年前に始めました。その一連の動きをまとめた『通知表をやめた。茅ケ崎市立香川小学校の1000日』(日本標準)では藤本先生も共著者を務めています。

 講演は「教育評価」とは何かという話から入っていきます。曰く、長く日本で続いてきた相対評価は、その仕組みとして排他的な競争―「教育学者は競争を否定しているのではなく、それが『排他的』となる構造を批判しているんです」という話も印象的でした―を生み、子どもたちの学習の保障に対する教師の責任を隠蔽してしまう。ところが社会には未だに「相対評価」的価値が蔓延っているとのこと。
 現在の義務教育では到達度評価が行われていますが、通知表に書かれたA・B・Cや1・2・3という評語は、優越感や劣等感といった比較の視点―相対評価的な心性―を今でも生み続けています。
 実際には「教育評価」はもっと豊かなもので、教師は専門職として普段から子どもたちの学びを評価し、実践に活かしているはずですし、普段の学習記録(ポートフォリオ)を通じた評価、あるいは三者面談のような場で展開される評価のコミュニケーションもあります。通知表をなくした香川小の試みは、まさに「教育評価」とは何か、ひいては「教育」「教師」とは何かということを、教師たちが本気で問いなおし、実践する評価改革なのです。

コミュニケーションの困難さ

 しかし、当然ながら一筋縄ではいきません。今も多くの葛藤、あるいは公立学校ならではの人事異動による継承の課題などを抱えているといいます。
 大きな課題となっているのが、保護者とのコミュニケーションです。アンケートをとると、回答者の間で強い賛成と強い反対に意見がはっきりと割れており、反対の方がやや多いといいます。他方で、アンケートの回答率の低さ(1000人規模の学校で二桁の回答)にも注意が必要です。すなわち、言いたくても言えないのか、無関心なのか、多忙なのか……大多数の保護者の姿はそこに立ちあらわれてきていないのです。これらの「サイレントマジョリティ」をどう捉えるか、というのはひとつの重要な視点といえます。

 さらに、子どもたちの学校での生活や学習に関する「大人」同士のコミュニケーションの困難も見えてきたといいます。普段の学習記録や面談を通じて、たとえば母親と教師との間ではうまくコミュニケーションがなされ、子どもの姿が共有されているとしても、それと同質の情報を母親が他の家族に共有することができないという問題です。その点、通知表は家族で共有がしやすい面がありました(もちろんそこで簡易に共有される情報自体に香川小の問題意識があったのですが)。つまり、子どもたちの活動のどの部分を切り取り、それをどう伝えるかということ自体が教師の重要な専門性であるとして、その専門性を帯びた視点やコミュニケーションを他の大人たちはどう共有していけるのか、という実践的課題が見えてきたといいます。

教育評価をめぐるコミュニティをどうつくるか

 この話を今回のイベントの趣旨とつなげるならば、教育評価の改革とそのコミュニケーションに、「地域」「市民」はどう関わり得るのかという視点が浮かび上がってきます。
 地域を母体とし、一方で職員は人事異動で替わり続ける公立学校において、教育に対する多くのステークホルダーの向き合い方を問い直すような実践が、どのように実現され、文化として継承されていくのか。学校側から見れば、そのチャレンジを可能とする磁場を、「地域」との協力関係の中でどう確保し続けられるかということになります。他方、地域の側から見ればその試みや葛藤をどう理解し、当事者として支えていけるかということになるでしょう。
 そのコミュニティのデザインや具体的な実践において、市民活動団体が果たせる役割は小さくないのではないでしょうか。そうして議論のバトンは、後半の公開交流ミーティングへと渡されました。

5つのNPO法人

 後半(13時~15時)の公開交流ミーティングでは、5つのNPO法人の担当者が登壇し、市民活動団体と学校の関わり方について議論をしました。

 登壇したのは、NPO法人セカンドリーグ茨城(こども学校プロジェクト)の横須賀聡子さん、NPO法人トモニトウの西野由希子さん、NPO法人E-nnovationの佐々木康喬さん、NPO法人教員支援ネットワークT-KINTの塩畑貴志さん、そして当法人の山崎一希です。
 セカンドリーグ茨城は「誰もが安心して暮らせる地域づくり」を目指し、子ども食堂の運営などの事業を展開しています。「こども学校プロジェクト」は同法人代表の横須賀さんが「学校をつくりたい」と呼びかけて集まった仲間で発足したプロジェクトで、これまで公開の勉強会などを実施。しかし活動を進める中で「自分たちは本当に学校を作りたかったのだろうか?」と問いなおし、現在は公教育のあり方についてさまざまな方向から考え、支援をする活動や、街中でのフリースクールの運営などを行っています。
 トモニトウは、さまざまな地域資源を活かした教育プログラムや語りあう場を展開している団体です。現役の学校教員など教育関係者が多く運営に関わっている点も特徴といえます。学校との連携の例として紹介されたのが、伝統的な和紙づくりで知られる常陸大宮の小学校で展開している、子どもたちが楮(こうぞ)を育て紙漉きまで体験する活動の、コーディネートです。楮の一部は以前から校内の敷地に植えられていましたが、教員の異動が繰り返される中で、その経緯が忘れられていたとのこと。その地域資源かつ教材としての価値に、地域の人たちが改めて光を当てた取り組みです。
 E-nnovationの代表を務める佐々木さんは元予備校校舎長。予備校で仕事をする中で、子どもたちの進路が家庭の経済力によって大きく左右され、格差が広がっていく状況を看過できなくなり、知人だった大学や高校の関係者などに相談をして立ち上げたNPO法人です。茨城県内で、子どもたちの学習支援の活動や、ダイバーシティやインクルーシブを学ぶプログラムの出前講座、高校の探究活動のサポートなどを行っています。ユニークなのは、教員志望者など60~70人の学生たちがネットワークを形成し、活動に参加している点。「教員を目指す学生たちにとっては、大学の中だけでは得られない社会体験の場になっている」と佐々木さんは話します。
 教員支援ネットワークT-KINTは、その名のとおり、教員の業務のサポートなどを通じて、教師が子どもたちに直接関わる時間を増やせるようサポートすることで、教育環境の改善を目指しています。業務支援の他、コミュニティスクール事業のコーディネートや会議のファシリテーション、研修事業なども手がけており、特に笠間市内の学校で多角的な活動を展開しています。

落ち葉掃きから始まった

 印象的だったのは、「学校の運営に直接関わるのは簡単ではないのでは?」というフロアからの質問に対して、T-KNIT・塩畑さんが語った笠間市の学校でのエピソードです。もともと教員のICT利用をサポートしていた塩畑さん。その際校長先生に「学校業務の負担軽減のために連携できないか」と持ち掛けたところ、当初は「働き方改革を進めている中で、教員が外部団体との連携活動を行う余裕はない」と否定的だったそうです。
 それでも塩畑さんは諦めず、ボランタリーに学校へ通っては「落ち葉履きから書類のコピーまで手伝えることはなんでもやりました」とのこと。そんな様子を見ているうちに、外部団体の活用・連携に対する校長先生のイメージが変わったようで、現在では塩畑さんは学校運営やコミュニティスクールのファシリテーションも任されているそう。さらに今では、その校長先生が学校と外部団体との連携の伝道師のような役割まで果たしており、笠間市全体にまで取り組みが広がりつつあると言います。

 このエピソードはさまざまなことを示唆してくれます。
 まず、学校現場においては、さまざまな課題や悩みごとは抱えていても、それを地域の外部団体と協働して解決していくというプロセスに対して、具体的なイメージを持てていないということです。フロアにいたある現役教師の方は、「外部連携をコストやリスクと捉えてしまいがち」「かといって職員会議で『どう学校をひらくか』ということはほとんど話題にならない」とも話していました。一方、「まずは私たち(地域)と学校の共通課題を確認することが大事」と塩畑さん。「落ち葉掃きから」というようなボトムアップのアプローチにせよ、号令的なトップダウンのアプローチにせよ、「共通課題」の丁寧なすり合わせは不可欠なプロセスといえそうです。



カリキュラムにまきこむ・まきこまれる

 また、学校と地域の関係者との協議をコーディネートする、その主導権を、学校側が少し手放してみるということも、ポイントになりそうです。
 藤本先生の話の中に、「カリキュラムにまきこまれる」という表現がありました。これは連携の活動において、地域の人たちが、学校のカリキュラムの強い論理にまきこまれて身動きがとれなくなったり、あるいは意図せず学校や子どもたちとの信頼関係にダメージを与えてしまったりすることへの懸念を示したものでした。しかし、連携を志向するにあたっては、カリキュラムと地域社会とが、相互にまきこみ・まきこまれるような関係は、必ず生じるといえます。そのことを学校、地域の双方がどう捉え、協働を進めていけるか――学校はカリキュラムの変容を柔軟に捉える視点(覚悟)が必要になりますし、地域団体の側もカリキュラムというものに理解を示すことが必要なのだと思いました。そしてそのための対話と実践は、学校だけが担っていける、あるいは担うべきものでもなく、学校がもっと地域社会に身を委ねてみると良いのでは、という提言も、今回のミーティングでは示されました。

小文字の社会と連携を支える人たちの存在

 その他、学校が地域・社会と連携すべきというときに、その「地域」「社会」のイメージに偏りがないだろうかという指摘もありました。すなわち、民間企業と協力した教育パッケージの導入、あるいは地縁団体の有力者への接待的なコミュニケーションだけが、地域や社会との連携と捉えられていないかと。
「教職課程で学んでいるだけでは、社会のことが分からないまま閉塞的な教師の世界に入ることになってしまう」という大学生の焦りについても、もしかしたらそうした限定的な地域観、社会観が前提になっているのかも知れません。
 しかし教師は、実際には子どもたちを通じて社会の格差や貧困、多様な住民の存在に直に触れているはずです。民間企業や地縁団体といった大文字の「社会」への目配りが「連携」のすべてではなく、教師が普段の仕事を通じて見ている「社会」をカリキュラムと丁寧につないでいくこと、そして地域の外部団体もその教師の経験や専門的なまなざしを理解・尊重することからスタートするような連携の取り組みも、もっと志向されるべきかも知れません。

 今回の市民活動公開ミーティングは初めての試みということで、まずは課題や認識の共有で時間がいっぱいになってしまいました。それでも市民活動団体同士で率直に語りあえたことで多くの学びがありましたし、学校運営が厳しさを増す中で、それを支えたいと考えている多様な市民社会の存在を紹介できたことも意義がありました。
 今回の議論で確認された課題に実際にどうアプローチしていけるのか、そのために市民団体が持続的に活動していくための基盤をどう確保しけるのか。そうした実践的な課題については、今後も議論を継続していきたいと思います。




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